KEYTECH VISON Vol.1

ものづくりは人づくりから
発展段階のLVLには未来がある営業・開発のスペシャリスト育成が鍵

朝7時。松田一郎社長は、出社時間の1時間前に席に着く。「習慣でね。この1時間がはかどるんです」。重役出勤など念頭にない、実に健やかな仕事人間である。
松田氏は長年、建材流通業界で営業のプロとして生きてきた。10年ごとに赴任地を変え全国を転々とする中で、人と人とが丁寧に信頼関係を築くのが仕事の基本と会得した。「この会社でも最初の1年は、取引先などすべてに自分が顔を出していました。まあ立場が立場なので、もうやめてくださいと言われましたけどね(笑)」。
キーテックの社長に就任したのは2008年。初めて触れる製造業の世界だったが、製品知識の豊富な社員の声に耳を傾け、自身もより深く理解する努力を続ける中で、LVLで会社を成長させたいという願いが強まった。「もはや’素材を売る’感覚ではだめ。’数を売る’時代でもない。活用技術も含め発展段階のLVLの未来は、利用のメリットや付加価値の高さを打ち出す営業力など、ソフトの強化にかかっています」。
本社にも工場にも大学で高度な専門知識を身に付けた人材を配し、彼らをスペシャリストとして育成するための投資は惜しまない。
ものをつくる企業だからこそ、人をつくる。この国で失われかけている精神が、彼の経営理念の揺るぎない核であり続ける。

株式会社キーテック 代表取締役社長
松田 一郎 ICHIROU MATSUDA

神奈川県横浜市生まれ。1967年株式会社丸吉に入社。1989年中部・西日本営業部営業部長、1994年常務取締役西日本担当。1999年にはジャパン建材株式会社専務取締役営業本部長、2006年ジャパン建材株式会社代表取締役副社長を経て2008年株式会社キーテック・JK工業株式会社社長に就任。2010年より全国LVL協会会長。

合板産業を次世代に繋ぐ

「腰かけで3年いたらバイバイでしょ、と思われていたみたい」と茶目っ気たっぷりに笑う韓国出身の李元羽氏は、キーテックに入社して6年、来日して12年経つ。震災後には移住を悩んだが、妻子と共に日本に残ることにした。
東京大学大学院の木質構造学研究室で博士課程を修了後、研究者にならず企業でその知識を生かす道を選ぶ。しかし、品物を右から左に流す材木問屋の「素材売り」の体質が色濃く残る合板業界では、製品開発の機会がなかなか訪れずにいた。そんな中、東京合板工業組合が’ネダノン’という合板をヒットさせ、触発された上司と共にLVLの営業開発戦略を練りながら飲み明かす日々が続き、視界が開けた。対外的な営業と同時に、社内でも自社製品の可能性を再認識する場を設け、開発営業のフィールド拡大に努める。「今後は、夢をもって入社する若いエンジニアが力を発揮できる環境をつくり、合板産業が次に打つべき一手を考えたい」という言葉が力強い。
状況に飲まれずものごとを推し進める李氏に宿るのは、開拓者の野生だ。「研究にしろ、営業・開発にしろ、理屈で考える世界には限界がある。人間は動物です。飛躍には、動物的な本能の力が必要なのです」。セールスエンジニアとして合板業界の未来を担う者の、知性と感性が光る。

株式会社キーテック 開発課
李 元羽 WONWOO LEE

1975年韓国ソウル生まれ。1997年ソウル大学農学部卒業後、来日。2006年東京大学大学院博士課程修了後、株式会社キーテックに入社。現在、本社開発部開発課勤務。
一級建築士、博士(農学)。

未来を担うセールスエンジニア飛躍に必要なのは本能の力
LVLの魅力を知ってほしい
現場で得た知識が増えるほど仕事が面白くなっていきました

緊張感の漂うLVL工場を落ち着いて仕切る姿が頼もしい、安徳保氏。現場を知り尽くした風格と、若々しさを兼ね備えた工場長である。生え抜きかと思えば前職はアパレル関係とのことで、30歳にして地元木更津に戻り中途採用で入社。LVL加工の現場に配され、3日で挫折しかけたという。「ヘルメットと安全靴を装着しての立ち仕事で10キロ痩せました。でも、守るべき家族がいましたから」。配車係に転属し、配車効率向上を考える中で商品知識が身につくと、俄然仕事が面白くなった。「配属先ごとにのめりこみますね。合板工場では多種多様な丸太をどう料理するかの見極めの難しさに直面。丸太は生ものなので剥かないと個性が分からないが、目利きは小口を見ただけで分かるのです」。このひたむきさは、学生時代に卓球インターハイで千葉県チャンピオンと聞くと合点がゆく。今でも休日は3人のこどもたちの卓球練習に付き合う。汗した後のビールは格別だ。
現在関わるLVLについては、地産地消材として小ロットでも受注可能な点や、積層面の魅力を生かしたデザインなどもっと多くの人に知ってもらいたいと願う。「LVLにしてほしい、と施主から指定される材になれば嬉しいですね」と微笑む顔には、自らが手がける製品への愛情が宿る。気がつけば、勤続17年目である。

株式会社キーテック 工場長
安徳 保 TAMOTSU ANTOKU

1965年佐賀県生まれ。高校卒業後、日本フエルト株式会社、株式会社PANTONを経て1995年株式会社キーテック入社。合板工場次長、工場長兼購買部次長(JK工業)を経て2007年よりキーラム工場工場長兼JK工業工場長。私生活では1983年千葉県卓球選手権大会で団体、ダブルス優勝、インターハイ出場。1986年日本実業団軟式卓球選手権東京都代表。